早起きなのに
佐賀のがばいばあちゃんの家で起床 時刻3時。
起きるとおばあちゃんと姉さんが・・。
私のためにサンドイッチ、飲み物、お菓子を準備してくれました。そしてお手紙まで。
なんでこんなに朝早いのになんで。
どんだけ良い方達なんだろうか・・・と
私の準備は見た目通りボーイ並みで、起きた10分後には出発しました。
本当にありがとうございました。
最後に向かう先
今日で香川へ帰ります。
最後に向かう先はどこか。
去年佐賀のバルーンで知り合いになったおっちゃん達が熊本を案内してくれることに。
場所は阿蘇周辺。
※これを見たりょうさんは少しやきもちを妬くかもしれませんので、りょうさんはこれから先読まないでください。
阿蘇と言えば今年の4月14日と4月16日に震度7と6を観測した地域。
最近やっと阿蘇への道が開けたため迂回ルートではありますが入れるようになったようです。
5時に阿蘇のふもとの道の駅で合流し5時半、阿蘇の外輪へ。
今回おじさんに説明されるまで全く知らなかったことでしたが、阿蘇市は昔噴火してできたカルデラに5万人住んでいるようです。
※カルデラは山形県で撮っていた蔵王のこの湖部分。
そのカルデラの外輪から写真を撮りに行ってきました。
佐賀を出発したときは最高の天気でしたが、あいにく日の出の時は天気が悪く曇っており、日の出は見ることができませんでした。
地震時のひび割れも見れ、地震の脅威を感じました。
まだまだ地震の爪痕が残っています。
ただ、ただ、雄大な阿蘇。
その後もう一度鍋ケ滝に行き解散しました。
朝早くからありがとうございました。
終わりに
こっからは真面目な事しか書かないため読まないでください。
面白いことは一つしかありません。
今日で9月4日から始まった旅的なものが終わりとなります。
約2か月ちょっとの旅で感じたこと。『人の温かさによる幸せ』です。
長々と書いていますが下の文をまとめると「みんな幸せをありがとう」です。
生まれてからずーっと香川に居てた自分が急に旅だった9月4日。
一生の運気をすべて使い果たしたのではないかと思うくらい良い人にしか出会わなかった旅でした。※もう寿命が短いのかも
私は昔から「人は勝手に生まれてきて、勝手に死んでいく生き物」としか考えてなくて、生きることになんの意味もないと思っていました。
ただそう思えばそう思うほど、何かしたいことを見つけて動いていきたいと思う様に歳を重ねるにつれ思う様になりました。そして行動した9月4日。
そこから始まるいい人とのたくさんの出逢いとつながり。
こんなにもいい人にたくさん出会えて本当に幸せでした。初めて幸せってことばの意味を受け止めることができました。
出発前も出発してから出会った人にも周りの人から「ほいほい付いて行っちゃだめだよ」てよく言われました。物騒な世の中ですからね。
それもよくわかっています。
でも疑ったら何もできない、何も知れない、動けない。
死ぬときはどこででも死ぬ。
無駄に恐れず、ほんの少しの警戒でこんなに楽しい2か月を過ごすことができました。
それもこれもみんないい人だったからです。
「感謝する気持ちを忘れない」これはよく言われること。
でも本当に難しいことだと思っています。
しかし、今回旅の節々で、前の会社の人、友達、出会った人に無意識に「本当にありがとう」って思っていました。
そして最後に両親をはじめ家族
まさか急に4年半働いた仕事を急に辞めてどっかへ行くなんて私が生まれたとき思ってもなかったでしょう。不安にさせてごめんなさい。
そんな家族へ「こんな幸せな日々を送らせてくれてありがとう、生んでくれてありがとう」って無意識に思っていました。
幸せを感じた瞬間に感謝がこみあげてくるって初めての経験をしました。
そんな人らしい感情を思い起こせてくれた出逢ってくれたすべての人へこの一枚を送ります。
みんなナイス突っ込み!関西人じゃないけど「おおきに」を使っています。
この写真は47カットくらい撮りました。
一人でタイマーでおじさんに笑われながら。
佐賀のお姉さんからの手紙に「出逢ってくれてありがとう」てまさかの言葉が。
ありえない。私が思う言葉です。
でも嬉しかったです。ありがとうございます。
そんなこんなで予想通り楽しい旅が終わりました。
死にたいと思ったことないけど、生きていく意味の縮図の旅でした。
生きる意味はないけど生きていく意味は人生にはありました。
本当に私に出逢ってくれた、出逢ってくれているすべての人。
毎日ブログを読んでくれているそこのあなた。
本当にありがとうございました。
みんなの笑顔を胸にこれからも生きていきます!
何度も言いますが死にたいわけではないです。
しばらく(たぶん2週間弱)香川にいます。
早くワーホリの手続きをします。
その後、次は紅葉編かな?
その時まで!では、
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